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自己免疫介在性脳炎というあまり知られていない脳の病気があります。

 

自己免疫が関係する病気で再発性のある病気です。

 

僕はこの病気が原因で今までに3回の長期入院を経験しました。

 

1回目の入院は2014年11月から2015年3月の間。

 

2回目は2016年 11月から2017年2月の間。

 

そして一番最近の3回目が2019年8月。

 

29歳の頃から2~3年に1回のペースで再発を繰り返しています。
 

この病気の恐ろしいところは、

 

『毎回症状が違うため、発症しても脳のどこの部位に炎症が起きているかがすぐに分からない』

という点です。

 

脳が司っている機能は脳の部位ごとに違いがあることを体感しました。

 

海馬に炎症が起きた時は記憶力が低下し、感情が上手にコントロールできなくなりましたし、

 

延髄に炎症が起きた時は体の麻痺やしびれといった症状が生じました。

 

誰しも自分の免疫で抗体を作り出す機能が備わっていますが

 

この病気にかかると本来何もしなくてもいい無害な脳細胞に攻撃をする抗体を作ってしまうようです。

 

なにをきっかけに発症するか、僕自身もよく分かっておらず

 

病院からは日常の生活でストレスを溜めない、手洗いうがい、規則正しい生活を心がけるよう言われました。

 

様々な検査の結果、2019年9月の現時点で

僕の体には「抗NMDA-R受容体」と「MOG抗体」という脳を攻撃する特殊な抗体が確認されています。

 

検査結果を見てもどういうことかさっぱり理解はできず、

 

分かっていることと言えば検査中に偶然見つかった甲状腺癌の手術を脳の疾患の既往を理由に断られたということだけです。

 

見つかったのは甲状腺の乳頭癌で、一般的に進行は遅く命に関わることはないと言われており、放置するという選択肢もあるそうです。

 

ですが僕の持病である抗NMDA-R受容体脳炎は卵巣腫瘍が引き金で発症することが医学的に確認されており

 

卵巣を持たない僕が同じホルモンを司る部位である甲状腺に悪性腫瘍が見つかったことは偶然ではないような気がしてなりません。

 

病院から聞いた話では僕の甲状腺の腫瘍は1.1㎝の大きさであり、そこまで育つのに約4~5年かかるらしく

 

そして腫瘍の数は3つあるとのこと。

 

僕が初めて抗NMDA-R受容体脳炎を発症したのは5年前、そして発症したのは腫瘍の数と同じ3回。

 

この偶然の一致に、もうこの病気と手を切れるかもしれないという希望を感じています。

 

そのことを病院に相談をしましたが返ってきた答えは

 

甲状腺の腫瘍と脳の病気は関係がない

過去にそんな事例はない

そう説明されました

 

ですが、いざ腫瘍摘出手術を申し込むと

 

手術して脳に何か影響があったら責任はとれない

あなたの家族や世間からバッシングを受けた時の病院のデメリットを考えてほしい

手術はできないという決定を覆すにはあなたの熱意しかない

 

腫瘍は声帯の近くにあるらしく、最悪の場合は声を失うと説明をされていたので

 

少しでも腕のいい病院を希望していました。

 

しかし、その病院であからさまに迷惑がられたことで

 

自分のような厄介な病気を抱えている人間が選択の希望を持つことはわがままである

 

希望すること自体がおこがましい

 

取れる選択肢があるだけマシだと思え

 

感謝が足りない、我慢が足りない

 

自分が社会にとっていかに迷惑な存在であるかを自覚しなければならない

 

そう言われているようにしか聞こえなかった僕は診察室で涙が止まりませんでした。

 

それでもなんとかしてほしい、一筆でもなんでも書くと食い下がりましたが

 

病院からは僕の理解を超えた答えが矢継ぎ早に返ってきました。

 

何一つ解決しないまま診察室を後にし

 

家路に着くまでに何度か動けなくなりました。

 

もともと本文章は

 

同じ脳の病気を患っている人の為や誰かのなにかの役に立つかもしれないと2019年の入院中にしたためていたものですが

 

今は自分の癌の治療に役立てることにしました。

 

手術を断られた病院から他の病院を紹介されましたが

 

僕の身を案じているように感じられない病院からは紹介してもらう気にはなれません。

 

ですが、自分が受けたいと思う治療を諦める気にもなれません。

 

今の僕の仕事は自営業のフォトグラファーです。

 

2019年5月に入籍した妻もいて、12月には第一子が産まれます。

 

病気を抱えていても、心置きなく写真を撮りたいですし、家族との時間も大切にしたいんです。

 

その目的の為に、脳の病気もありますが、まずは甲状腺癌の手術を済ませたいと思いこの文章を公開することを決意しました。

 

どうか、僕の気持ちに寄り添ってくれる病院に心当たりがある人がいたら教えてください。

 

藁にもすがる思いです。

 

ここからの文章は、僕が脳の病気を初めて発症した2014年からの記録になります。

 

そこまで遡って書く理由としては

 

自分の脳の病気のことを色んな人に少しでも知ってもらうことで、こないだのような気持ちを味わうことを少しでも減らしたいからです。

 

長文になりますが、どうか読んでいただけると幸いです。 

 

2014年10月27日~11月12日  発症から入院まで

29歳の秋でした。

 

まずは自己紹介がてら、大学卒業後のざっくりとした履歴から。

23歳     アルバイトフリーター

24〜27歳  地域包括支援センターという介護関係で事務職

(夜は時間を持て余すことが多かったので趣味も兼ねて地元のBARでバイト)

28歳     某飲料メーカー補充員

28歳     ホテルBAR勤務

28〜29歳  郵便配達契約社員 

 

あれでもないこれでもないと、自分探しをしまくった20代。

 

とにかくアクティブに動くのが好きで

 

新しいことに挑戦したり

 

既存のものを発展させて

 

『その発想はなかった!』 

人にそう言ってもらえるのが3度の飯より好きな分かりやすいお調子者。
 

数ある趣味の中でも特に没頭していたことは

 

物心がついた時からおばあちゃんに連れて行ってもらっていた田んぼ遊び

 

 小学校高学年くらいから始めた音楽活動

  

高校1年生からほぼ毎年参戦している音楽フェス

  

社会人になってからのバーテンダー活動

  

BARでお客様から教えてもらったカメラ

 

良く言えば好奇心旺盛、悪く言えば落ち着きのない奴。

 

30歳を目前にしてこのままではいかんと焦りを感じ始めていました。

 

最後の転職のつもりで28歳の時に郵便局に就職。

 

契約社員から正社員を目指しました。

 

仕事もある程度慣れて来た契約社員2年目。

 

配達業務は苦手でしたが、営業でいい評価をいただけていました。

 

正社員になるのも夢じゃないかもと自信がついていた頃です。

 

ある日熱が下がらず、風邪の症状が2週間程続きます。

 

季節は10月、当時郵便局員だった僕は

 

お歳暮と年賀状の準備に追われており風邪なんかで休んでいられない

 

この大事な時期に休んで班の人達に迷惑をかけては正社員の道が遠のいてしまうと考えていました。

 

それにこの頃、夜はBARでバイトもしており

 

ダブルワークの疲労のせいだと思い込んでいました。

 

 風邪の症状の中でも一番酷かったのは頭痛でしたが

 

元々軽い偏頭痛持ちであったことと

 

将来の道の選択を悩んでいたことが原因だと思い込んでいました。

 

この頃、知り合い経由で

 

BARの店舗経営を任せてもらえる話も来ていて 

 

このままなれるかどうか分からない郵便局の正社員の道か

 

元々好きで経験を積んで来たBAR経営の挑戦の道か

 

どちらを選ぶべきなのかと悩み続けていました。

 

結果から考えると、この時点で既に脳の炎症が始まっていたと思います。

 

この時の僕は自分が正常だと思っていました。

 

もっと細かく言えば

 

自分の意識が正常か異常かなど気にしてすらいませんでした。

 

後から人に聞いた話

 

この時以前から僕は変なことを言ったり

 

いつもと違う行動をしていたりしていたらしいです。

 

自分が気づかない内に性格や人格が変わってしまっていました。

 

僕がこの病気を体験して本当に怖かったのは

 

いつの間にか自分が正常ではなくなっているという点です。

 

自覚症状が全くないのです。
 

 3回の再発を経験してもなお

 

どんな症状が脳の炎症によるものなのか気を付ければいいか分かりません。

 

今でも咳払い一つで炎症のサインかと不安になって過敏になることもあります。

  

炎症のサインを自覚しようにも、炎症が起きる部位が毎回違い、出る症状も毎回違うので

 

症状から予測することが本当に難しい。

 

僕の場合、ある日突然発症するのではなく

 

自分が気づかない内にだんだんと症状がひどくなっていくみたいです。

 

自覚することなど、ほぼできないと思います。

 

いつから自分が見ている世界がいつもと違う世界に見えているのか。

 

自分の認識が周りとズレているかをどうやって把握するのか。

 

自分が見て触って感じていたと思い込んでいたものが本当かどうか分からない状態。

 

例えるならば

家に帰ったと思ってくつろいでいたら、本当は全然違う家なのかもしれないという状況。
 

 話を時系列に戻します。

 

病院で処方された薬を飲んでも熱は全く下がりませんでした。

  

この時点で最初に受診した日から1週間くらい経過していました。

 

郵便配達の仕事を早退して、薬を処方してくれた病院を再度受診します。

  

解熱剤を飲んでいるのに熱が下がらないのはおかしいと言うことで髄液検査を受けました。

 

すでに意識は朦朧としていましたが、髄液を取る痛みはよく覚えています。

 

その日の内に検査結果が出て、髄液に細菌がいることが確認され『髄膜炎』と診断されます。

   

緊急入院を勧められました。

  

しかし、この時の僕は

 

『この時期に休んだら正社員になれない』

 

という焦りの気持ちしかなかったことを覚えています。

 

僕が入院の勧告を無視してバイクに乗ろうとするのをお医者様が止めてくださいました。

 

すぐに母親が病院から呼び出され、近くの脳神経外科に緊急入院となりました。

 ※この辺から意識と記憶は更にまだらになります。

 

熱が出始めた頃から数えたら約1ヶ月間は経っていたと思います。

 

ここからの話は回復してからお礼参りをした時に病院スタッフさんや家族から聞いた話

 

そして開示請求したカルテと入院中に無意識に書きこんでいたメモ帳からの考察を含みます。

 

2014年11月12日~11月16日 入院 

  

後から聞いた話になりますが、この時から更に精神的な症状が悪化していたらしく

 

見舞いに来てくれた家族、友人に

 

かなり支離滅裂なことを言いまくっていたそうです。

 

『トリップする感覚がすごい!トリップする感覚がすごい!』

 

執拗に色んな人に訴えかけていたとのこと。

  

その時の感覚はうまく思い出せませんが、

 

アドレナリンが大量に分泌されて脳が異常に覚醒しているような感覚だった気がします。

 

今まで感じたことのない体の浮遊感やハイテンションになって喋りたいことが洪水のように押し寄せてきて

 

口がついてきていないのに一方的に涎を垂らしながら喋っていました。

 

その様子から病院からは

  

『ドラッグを乱用しているのではないか』

  

と疑われてしまい、母親が問い詰められていましたが

 

『そんなバカなことをする子ではない』

 

母親は病院にそう言ってくれていました。
 

 その時自分の身には他にも理解できない様々な症状が起きていて、パニックになっていたことを記しているメモが残っています。

 

以下、実際のメモの画像と文章の転載

 

せっかくいただだいたノートに日記を記そうと思いまいます。

正直を書こうとしてもパニックの一言に尽きます。

パニックってすごいよ

意味が分からなさすぎてこんなしょぼい文章力で書き上げれるのか。

とりあえず具体的に書いていこうかな。

最初はきっと俺じゃなくて世界の方がバグったんだって思うくらい今までの常識とかが少しずつなくなっていきましたした。

感覚としてマグカップを持っているのに、視界にはテーブルの上にマグカップがあってまずここでパニック。

あれ?って理論的に考えるとじゃあ服はなんで着れてるの?って疑問が浮かんで二次パニック。

色んな人が色んな感情をぶつけてきてきてくれるけど、それは全部無視することができて

というか相手の意向を完全に無視することができてしきってた。

物理的にもすりぬけてて出ていった。

相手の言うことを無心して自分の言いたににとしことしか言わないとか。

そんな感じで夢と現実を行ったりきたりしてる感じ。

 どっちがどっちかわからんし

正直もうどっちでもいいかって気持ちもあった。って気持持ちもあると思う。

多分支りめつれつなこと書きまくってるんだわけど

後ろをふりむいているヒマまどないとどっかのえらいおっさんが言ってた。

ちょっと考えてみて知ってる人知らない人色んな音ばりぞうごん、全てで一斉に耳の中に同じにカウウントダウンなしで入ってくるのです。

狂わなないわけない。それが無限に続くのです。

無限限って概念考えた奴ちょっとここで

あ、なんか今色んな人に会いたいいたんだけど

世界の元へ行ってきました。

理論上で満たされるはずなのに数値を表しているパロメーターターはどんどんふりきっていって

科者者達は検直の故故故だろうと考えましたが

コップに注いでる何かは溢れることなくそのままつがれていまきます。

変な電波受とけ止めてたんじゃないシリーズ

物が下に落ちない世界。

つつきつめて考るととんでもない世界かと思うのですがが、それこそ議題に挙げるのを禁止される

自分の体を使わずに人差し指でハナをさわることをは可能か?

ケータイが欲しい充電器欲しい

タイムマシーンとかそんなんじゃなくて

そっちの世界がすごい印印に

そろそろ日付の感覚もなくなってきたけど

 

以上がメモの転載です。

  

この時のメモを見返して思い出せることは

 

自分の皮膚感覚や視覚が変になっていたこと。

 

マグカップを手で持っている感覚があるのに、目ではテーブルの上に置かれたままの状態になっていたり

 

服を着ている感覚があるのに服が畳まれた状態が視界には広がっていたり

 

物質が自分の体をすり抜けていく感覚を感じたり

 

人の声は全て罵詈雑言に聞こえ、声以外の音はただただ不快な音にしか感じることができず

 

そしてそれら全ての音が一斉にゆっくりと耳の中に入ってきており、ずっと音に襲われ続けている感覚で

 

五感のほとんどが完全に壊れていました。

 

自分が感じたことのない感覚に対しての恐怖、それらをうまく説明できないことへの焦りに満たされていて

 

お願い、誰か助けて

 

頭の中はそれしかありませんでした。

 

しかし五感のズレが治まることはなく、恐怖と焦りに容赦なく襲われ続けました。
 

ある日、母から

 

『ほんまに薬やってないよね?』

 

そう問いかけられました。

 

『なんでそんなこと聞くん!?そうやって確認してくるってことはほんまは疑ってるってことやん!』

 

なんでもない普通の問いかけに対し、僕は瞬時に怒りの感情をむき出しにしました。

  

今となっては一生懸命看病してくれていた母に何故そんな暴言を吐いたのか分かりません。

 

言われた瞬間にただただ無性に悲しくなり、激昂して被害妄想が大爆発しました。

 

これも僕の1回目の症状で大きな特徴の一つでした。

 

2019年の3回目の発症で入院した時に改めて病院に話を聞いたり調べたりして分かったことなのですが

 

1回目の炎症でダメージを受けた脳の部位は

右延髄と右辺縁系(海馬・偏桃体・島など)でした。

 

海馬は記憶以外にも感情をコントロールする機能があるらしく、

特に炎症がひどかったのはその海馬の部分だったようです。

 

確かにこの時は喜怒哀楽の感情のブレーキがほとんど効かず、感情の振れ幅が異常に大きくなっていました。

 

ささいなことで大げさに喜んだり

 

怒りの沸点が異常に低く、普段ならムッとするくらいで済むことが大激怒となり

 

少しでも哀しいことがあれば、子どものように泣きじゃくり

 

周囲の迷惑も考えずに楽しいことを貪欲に求めるようになっていました。

 

しかし、頭のどこかで自分のコントロールが効かないことに恐怖を感じている自分もいました。

 

ささいなことでそんなに感情をむき出しにしていたら、人から異常者だと見られてしまうと分かっているのに

 

自分で自分を止められないことにひどく落ち込んでいました。

 

落ち込んでいることを人に伝えることができなかったことにも落ち込みました。

 

1回目の入院で思い出せる記憶はそんなことがほとんどです。

 

自分にかけられた言葉は自分への攻撃だとみなしていて

 

そしてその妄想から生まれた負の感情を

 

自分勝手に目の前にいる人にぶつけまくっていました。

 

 調べたところ、統合失調症や認知症にも似た症状があるそうです。

 

この時のカルテを開示しましたが、僕の病名のところにも統合失調症と記載されていました。

 

人から聞いた話では、病院は疑いがある時点で治療の可能性を探るために病名をつけるとのことですが

 

カルテを見る限り確定的に書かれているように思え

 

そのまま違う病気として扱われ続けていた可能性があるように感じることに恐怖を感じます。
  

話を時系列に戻します。

 

前述した母親の

『ほんまに薬やってないよね?』の問いかけについてですが

  

自分が実際にやってしまった母への受け答えと

 

脳の病気ではなかった場合にしていたと思う対応を

 

比べて自分なりに分析してみました。
 

健康な状態だった場合の受け答え

 

「ほんまに薬やってないよね?」

 

「そんなんやるわけないやん、ええから治療を早く進めるように言うといて」

 

しかし心の中では

 

『わざわざ聞くということは少しは疑ってるってことか。

 

まあバンドしてたりライブ行ったりしまくってるしBARで働いたりしてるから

 

どうしてもおかんの年代やったらそういうイメージついて回るよね

 

日頃の行いのせいやし、今回面倒かけてるし何も言わんとこ。』
 

   

病気の時に実際にしてしまった受け答え

  

「あんたほんまにやってないんか?」

 

「 なんでそんなこと聞くん!?

 

やってると思うから聞くんやろ!?

 

信じてないやん!

 

俺のこと可哀想やと思ってないから信じられへんねん!

 

俺のこと大事に想ってるんやったら疑う前にすることあるやろ!

 

もうええわ!

 

そんなんやったらもう看病していらん!」

 

健康な時と病気の時と受け答えは大きく異なっていますが

 

今こうして比べてみると、どちらにも共通していることがあります

 

「嫌なこと言うなぁ」とストレスを感じている点です。

 

理性を司る海馬の炎症が原因で、そのストレスで生じる怒と哀の感情がそのまま垂れ流されてしまっているように思います。

 

2回目の入院からずっと診ていただいている先生が、外来の時によく言ってくださる言葉にしっくり来るものがあります。

 

「病気の時の藤田君は本来の姿の藤田君ではない」
 

その言葉をきっかけに本来の自分を振り返って考えてみることにしました。

 

自分の感情は二の次にして

 

相手が気持ちよくなる返答をするのが好きなタイプ。

 

避けられる争いごとは避けておいて損になることはないという日和見主義。

 

争いごとを避ける目的の為なら、自分の意見を曲げる手段を迷わず取るポリシーなき平和主義者。

 

これが本来の自分でした。

 

 僕が患っている自己免疫性脳炎の一つである『抗NMDA-R受容体脳炎』という病気には

 

悪魔が取り憑く

狐が憑く

 

といった表現があるらしいです。

 

ネットの情報になりますが、映画『エクソシスト』の悪魔に憑りつかれた女の子には実在のモデルが存在していて、この『抗NMDA-R受容体脳炎』を患っていたという説があるようです。

 

僕の1回目の症状は、本来の自分からの豹変ぶりを見ると

 

まさにピッタリの表現でした。

ネガティブな精神状態だったことも加わって何を言われても

 

嫌なことを言われた

辛い

腹が立つ

悲しい

  

そう感じることしかできませんでした。

 

そのやりきれない感情を言葉でうまく表現することができないフラストレーションは

暴力や暴言といった問題行動に繋がりました。

 

母は息子の突然の豹変ぶりに今まで感じたことのない不安を抱えていたと思います。

 

分からないことが多すぎて心にかかった負担は計り知れません。

後から聞いた話。

 

母は、オカルトの類を全く信じない性格だったので

 

この時点から脳の病気と信じていました。

 

退院後にその時のことを詳しく聞いたところ

  

「あんたが統合失調症になったと思った。

老後の生活は精神疾患のあんたを支えていかなあかんねんなって思った。

でもどうあがいても私の方が絶対に早く死んでしまうし、どうしたらいいんやろうって絶望した。」

 

辛そうに話す母の姿を見て、それ以上聞くことはできませんでした。

 

2014年11月18日~12月9日 転入院

 入院中の更なる検査で髄膜炎ではなく、脳に菌が入りこんでいる可能性が示唆されます。

 

すぐに地元の大きな病院に転入院し各種検査を受けます。

 

検査結果は『ヘルペス脳炎』

  

この病院には約2か月間入院することになるのですが、当時取っていたメモを元にその時思っていたことをつづっていきます。

以下メモ転載

 

「マジでナースコール鳴りっぱなし早く分担して行ってあげて!みんなのこと信頼してるよ!」

夜中にナースステーションから聞こえるナースコールが鳴りやまず、助けてほしい患者さんが待ち続けているのではないかと心配し続けていました。

 

「看護師さんからお借りしたペンがポキって折れた!とりあえず書けるけど取り返しのつかない大事なものだったらどうしよう」

ささいなことから最悪のケースを想像しては不安にかられ続け、その不安を解消したいが為に実際はどうなのか確認したくてずっと落ち着けませんでした。

 

「8時27分 気付いたらこんな時間!ごめんなさい。また約束破った!」

「8時38分 なんか気が付けばボーナスタイム突入してる。いいのかな、不誠実かな」

メモを取ることを時間制限されていて、時間になったら看護師の方がノートとペンを回収しにくることになっていたのですが、時間を過ぎても取りに来ないことがよくあり、その度に決められたことを守るべきか、そのまま書きたいことを書くべきか葛藤していました。

 

「看護師さんにおしっこを手伝ってもらった。なんか切羽詰まった感じ。ベテランらしいけどベテランほど辛いよね!色んな場面に遭遇してるよね!」

舌が動かしづらく喋ることが上手にできなかったので、人の表情を読み取ろうと必死でした。

その表情から勝手に自分が不安になるストーリーを勝手に組み立てていました。

この時は、この切羽つまった看護師さんは担当の患者さんが亡くなったばかりだが

他の担当浮かれた患者の様子を見に行かなければならないという経験をしており、

その浮かれた患者と自分が似ているからそんな表情をしているのではないかと不安になっていました。

 

「12月1日10時45分 先生達がいっぱい来た!なんか完全に精神病患者を扱っている感じ。つらい。どうしよう。放り出されるのかな

昨日いっぱい寝たから今日は色んな人と話ができると思ったのにこれじゃどうすることもできない」

 

「12月2日5時25分 めっちゃおもしろい!ねたくないし!死にたくない!もっと見たい!ああ今日誰か来ないかな、共有したい!」

欲求が抑えられず、中でも特に人とのコミュニケーションに飢えていました。

 

「大好きな人と大好きな人をつなぎたかった」

入院中、母に執拗に友人や尊敬する人を紹介しようと試みていました。自分の支離滅裂な話を根気よく聞いてくれている母になにかしたい気持ちを制御できていませんでした。

 

そこからも状態は、特に精神状態は一向に良くならず

 

腕に刺せる血管がなくなり、足の甲に刺されるのが不快で暴れたり

 

不快な対応をしてくる看護師に暴言を吐いたり、コップを投げつけたり

 

尿道の管を自力で無理やり引きちぎり大量に出血したり

 

母親が見舞いに来てくれた時だけ拘束具を外してもらえることが嬉しくて

 

母親に抱き着いたりしていました。

 

端から見ると理性が完全になくなった暴れる認知症患者に見えたと思います。

 

自分としてはその問題行動と言われる一つ一つの行動にきちんとした理由があり

 

病気が原因でその理由を上手に言語化できなくてイライラし、

そしてそのイライラを上手にコントロールできないだけなのに

 

そのことを病院に理解してもらっているように感じることができず不満と不信感を抱えた入院生活を送っていました。

そして自分が思っていることを上手にアウトプットできないことは更なる状況の悪化を招きました。

 

「おはようございます、今日の調子はどうですか?」

 

この問診に対して自分の症状を上手に伝えることができない。

 

伝えることができないということは

症状に合った治療をしてもらえないのではないかという不安感、恐怖感を招きました。

 

それが即座にイライラに変わります。

 

理性が保てないのでそのイライラをすぐに怒りに変えたり泣き出したりしていました。

 

伝えられていないのにお医者様が立ててきた仮説が偶然当たる時があります。

  

「今こう思っていますか?今ここが辛くないですか?」

 

その時は嬉しさのあまり突然飛び跳ねたり大笑いしてしまったりしてしまいました。

 

感情のブレーキが発症直後より更に効かなくなっていたと思います。

 

自分でももう記憶の時系列は分かりませんが

 

病院で過ごした期間で断片的に覚えていることを更に書き出していきます。

 

もはや治療がどうなるかなどの不安よりも、とにもかくにも人とコミュニケーションを取ることに飢えていました。

 

コミュニケーションが取りたいのに、伝えたいことが上手にアウトプットできなくてイライラして

 

それでも誰かに分かって欲しくて

  

何かを思いついた瞬間ごとにメモに取るようにしました。

 

そのメモを読んでもらうことがこの時自分が出来るベストだと信じて疑いませんでした。

 

今思い返せばこの状況下で自分が出来る唯一のコミュニケーション方法はこれしかないと思いすぎていました。

 

メモを取ることに執着しすぎてしまいます。

 

 そうなるとメモを取ることに集中しすぎて脳を休ませないことを心配した家族や病院スタッフが時間の制限を設けます。

 

僕としては今の自分ができる唯一のコミュケーションツールなのに

 

少しでも自分の不安を解消して治療を進める努力をしているつもりなのに

 

単に言うことを聞かない患者に見られているように扱われているような気がして

  

怒りや悲しみ、焦りを露わにします。

 

そんな孤独感や不安感、虚しさだけが山のように襲いかかって来て、更に不穏状態に陥ります。
 

当時思っていたことで思い出せることは

 

自分の思考回路のまとまりのなさと言葉を上手に使えないことが 日に日にひどくなっていったこと。

 

自分の五感の感覚がどんどんおかしくなっていったこと。

 

病院側も人手が足りてなくて大変そうだったこと。

 

理解できなくてもいいから理解しようとしてくれる姿勢だけでも見せてほしかったこと。

 

それらを医療現場では問題行動と呼ばれる振る舞いで表現していました。

  

そんな息子を制する為、母が懸命に叱ってくれていました。

 

錯乱している僕はパニックを起こします。

 

まるで小さい子どもが叱られている理由も分からずに

 

ひたすら泣きじゃくったり

 

許しを乞うために謝ったり

 

おどけたりしていたそうです。

  

あの時の僕は、あのざわついた気持ちを落ち着かせて欲しくて

 ただただ、抱きしめてほしかったような気がします。

 

その時の僕の状況は、自傷他傷の恐れがある為、家族が面会に来ている時以外はベッドに括り付けられていました。

  

母からすると、病院がそんな措置をしないといけないくらい重篤な息子。

 

そんな息子の見舞いに行くと

 

部屋に入った瞬間、母の目に入って来るのは

 

ベッドで括り付けられながら意味不明なことを叫び

 

興奮状態で体をガタガタと揺さぶる姿。

 

看護士が拘束具を外した途端

 

もう29歳にもなる息子が抱きついてくるのですから相当な絶望感を与えてしまったことと思います。

 

それでも私が来てる間、拘束が解かれてあんたが楽になれるんやったら私が毎日来てあげる

  

そう言って本当に毎日来てくれていたそうです。

 

この頃の日に日に疲れていく母の顔の記憶だけはあります。

 

気付いていることを伝えられない。

 

毎日来て消耗して行く姿は見たくない。

 

それなら1日だけでも休んで欲しい。

 

それからでいいから僕が思っていることを理解して欲しい。

 

結局何一つ伝えることが出来ないまま2つ目の病院での入院期間が終わります。

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20 Comments

  1. 初めまして。
    突然のコメント失礼します。
    私も抗NMDA-R受容体とMOG抗体2つを持っていると診断された者です。
    同じ症例が少ないと聞いてたのでほぼ0に近いんだろうなと思い、毎日死との恐怖と不安と闘っていました。
    でも同じ症例の方がいると分かって
    勝手にですが。。
    救われた気がしました。
    まわりに理解されず、辛いことばかりですが、頑張ろうと思わせてもらいました。
    突然のコメント失礼しました。
    お互い頑張りましょう!

    よしみ
    1. 初めまして。読んでいただき、コメントまでくださってありがとうございます。
      そしてなによりも救われた気になってくださったことが、一番嬉しいです。
      そんな風に言ってくださったおかげで僕の経験は他の方のプラスになるものに昇格したんです、ほんっとうにありがとうございます。

      この状況下、正直腐ることもできるし、自暴自棄になることもできますよね。

      僕はなんですが、仮にそんな状況でも自分にできることを見つけて一つずつ達成していく人がいたらかっこいいな、そういう人になりたいなと思い
      色々と手探りで試行錯誤を繰り返しているところです。

      分からないことだらけだし、分からないことに焦点を当てて不安を抱えながら日々を過ごすのではなく、小さなことでもいいからこんな状況の自分にもできることはなにかないかという視点を持つと
      やること増えた分、大変にはなりましたが僕はすごく楽になりました。←変な表現で申し訳ありません。

      どうか無理をせず、「自分」が頑張れるペース、場所、タイミングを大事にしてお互い頑張りましょう!!

      katachi-photo
  2. 昨年 病室でお隣になった時に、苦しんでおられたんですね。私には想像もつかないような苦しみや悲しみを経験されたと お察し致します。私もあの時の手術以来 食事をすると腰とお腹が痛くなって下痢に苦しみます。もう、一年あまり毎日 1日一食だけ覚悟して食べる 日々を過ごしています。原因はまだわかっていません、お陰で随分痩せました。あなたの苦しみに比べれば私なんか 大した我慢ではありません。これから先 再発や他の病気にかからないよう 陰ながらお祈り申し上げます。
    くれぐれもご自愛くださいませ。

    榎本渡
    1. ご無沙汰しております。
      優しいお言葉ありがとうございます。
      辛いことは比べるものではないと言うのは簡単ですが、実際問題比べてしまいますよね。
      榎本さんにしか分からない辛さは沢山あると思いますし、僕も榎本さんの苦しみに比べればと思うところは多々あります。
      今思うこととして、我慢せずに自分の症状のここが辛いって考えなしに言って周りに強制的に気を遣わせてしまうのは本意ではないしなー、
      自分や周りにいてくれる人達が気持ちよく過ごせる方法というのをずっと考えているといった感じですね。
      考えることは多々ありますが、榎本さんとの次の再会が病室にならないようにお互いできることやっていきましょー!
      とりあえず榎本さんの作った小籠包食べたいです!

      katachi-photo
  3. はじめまして。
    私も去年、同じ自己免疫性脳炎にかかりました。
    ふと、同じ病気にかかって精神症状があった人はどうやって克服したんだろう、そもそも「あちら側の世界」に行った人なんているんだろうかと疑問に思い、軽い気持ちで検索した所このブログを発見し、読ませて頂きました。
    読み進めていくうちに、これ、私の事かな?と思う程症状に共通点があり驚きました。
    特に世界が変わってしまった感覚が痛いほど分かります。
    私は身体に障害が残り、退院してから元来の性格も手伝って、今は完全に引きこもりニートです。
    このままではいけないと思っていたところだったので、このブログを読んで、勝手に共感し(年齢、経歴等も共通点があったので)、励まされました。
    いつ再発するか分からない恐怖は常にありますが、このブログのおかげで本格的に動き出そうと心から思えました。
    本当にありがとうございます。
    色々と困難はあるだろうけど、頑張ってみます。
    主様も体調にはお気を付けて、ご自愛くださいます様お願い致します。
    突然の長文コメント、失礼致しました。

    田中枝里子
    1. 田中枝里子様

      はじめまして。

      まずはコメントをくださったこと、お礼を言わせてください。

      僕のこんな経験を意味のあることにしていただいたこと、嬉しくて感謝しても感謝しきれません。

      枝里子様が励まされてくれて、背中を押させていただいて、本当にありがとうございます。

      きっと僕も枝里子様もこれから色々と困難があると思いますが、焦らず急がずじっくり自分だけのペースで進んでいくことが大切だと思っています。

      どうか、枝里子様もご自愛いただきながら、今日より明日の自分が楽になることを考えてくださればと思います。

      繰り返しになりますが、コメントいただき本当に嬉しかったです、ありがとうございました!!

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      1. ご無沙汰しております。
        またまた突然のコメント失礼致します。
        おかげさまで、あれから「外」へ出るようになり、社会復帰への道を歩み始め、一歩一歩、少しずつ進んでいる状況です。
        担当医の先生からも、最近のMRIでも新たな炎症の兆候は無いとの事で、減薬も順調に行えております。

        ところで話は変わるのですが、最近始めた(というかずっと眠っていた)Twitterで、病気のことを色々と発
        信していたところ、ある方から
        「知人が脳炎の疑いがある。脳炎についての情報を知りたい」とフォローを頂きました。
        その方の症状などを聞くと、藤田様の症状と共通点が見受けられたので、誠に勝手ながら、こちらのブログを紹介させて頂きました。
        事後報告となり本当に申し訳ありません。
        ですが、まだ診断はされていないものの、同じ病気を疑われる人が今まさに苦しんでいる状況を、どうしても見過ごすことは出来ませんでした。

        重ねてですが、事後報告となってしまったこと、本当に申し訳ありませんでした。

        田中枝里子
        1. ご無沙汰しております。

          踏み出す一歩のお役に立てれたこと本当に嬉しく思います、近況の報告もとても嬉しいです。

          twitterの件はもちろん全然構いません、むしろそんな風に使っていただいて嬉しいです!

          ご丁寧に伝えてくださりありがとうございます!!

          katachi-photo
  4. 息子が自己免疫の脳炎と診断されました。救急車で運ばれて今日で1週間です。
    現在、痙攣を止めるため、人工呼吸器を付けて眠らせています。
    コロナ禍で面会もできず、何もしてあげられないです。息子はこれからどうなるのでしょう?
    息子は24歳です。

    藤田さんは今、普通の生活をしていらっしゃるのですか?

    中村 美智子
    1. 中村 美智子様

      はじめまして、コメントありがとうございます。

      本当に突然のことで大変不安な状況であることお察し致します。

      あくまで、僕が経験したことからしかお話しできませんが何か一つでも中村様の参考になればと思います。

      まず、僕の場合はですが意識不明の状態が半年続いたことが過去に2回ございます。

      意識不明と言っても寝たきりと言うわけではなく、僕の場合は記憶や理性を司る脳の部位の炎症がひどかった為、半年間認知症を2回体験したと言う表現がしっくり来ます。

      息子様が今後どうなるかなのですが、この病気は脳のどこに炎症が起きるかで発症中の症状やその後の治療は様々です。

      ですので、同じ病気の経験があってもこればかりは分かりません。

      ですが、病院でMRIを撮られているかと思いますので、一度お医者様に炎症が起きている部位、その部位が司っている機能のことを聞いてみてもいいかもしれません。

      今後の方策を立てる為に、まず息子様の現状の把握をすることは一つの手段になると思います。

      僕自身、過去に3回再発を繰り返しましたが、今まで脳のどの部位に炎症が起きていたのかをキチンと把握出来たのは3回目の発症の時でした。

      今の僕が普通かどうかは分かりませんが、毎日を楽しく過ごすことは出来ていると思っております。

      最後に、僕がこの病気に対して1番気をつけて欲しいと思う点を一つお伝えさせてください。

      この病気は家族様への精神的な負担がとてつもなく大きいことです。

      患者本人の脳のどこかの機能が阻害される為、家族様の理解を超えた症状を見守ることを強いられます。

      その状況下で心配や不安、どうしようもなくなる気持ち自体を減らすことは不可能だと思います。

      ですので、減らすのではなく、その辛い気持ちをケアする方法を一つでもいいので持っておくことがとても大事だと僕は感じました。

      1番気をつけて欲しいと同時に1番難しいことを言っていると思います。

      ですが、家族全員でこの病気と闘う為には、これは本当に大切なことだと心から感じております。

      使えるものはなんでも使ってください。

      僕が入院した病院では入院患者支援の相談室があったので、そういったものもどんどん利用していました。

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  5. フジタ様のサイトにたどりつきコメントせずにはいられず、胸がザワザワと過去の事がよみがえります。私の弟が5年前40代で自己免疫脳炎になり、まさしくフジタ様と同じ様な症状でした。病院からも精神病院へ送られそうになったり薬物も疑われました。とにかく弟は壊れてしまい家族で毎日悪夢をみているようでした。本人は入院生活はほとんど記憶がないです、現在は妻と子四人で暮らしてますが後遺症で記憶力がとても悪くなり、
    てんかん発作もたまにあります。あとは左手が痺れる感覚があるようです
    現在はてんかんの薬とステロイド1ミリをのんでいます、2ヶ月に一度病院へ
    通っています
    フジタ様は
    3回も脳炎になり
    かなりの回復ぶりで
    本当にすごいです
    記憶力が悪くなったり
    てんかん発作などの後遺症は全くないで
    すか?
    また年数がたてば
    記憶力やてんかん発作は少しずつ
    良くなったりしますか
    すみません質問ばかりで
    フジタ様のご活躍心より願っています。

    ヒナタ ヨツハ
    1. コメントありがとうございます。

      「毎日悪夢を見ているようでした。」

      それが決して大げさではなく、それ以外に言いようがない状況だったことは本当に分かります。

      僕の家族もそうでした。

      僕も入院中の記憶はほとんど抜け落ちているし、みんな気を使って当時のことは話は避けてくれています。

      周りの人達からもそれは仕方のないことと励ましの言葉をいただきますし、僕自身もそう思うようにしていますが、それでもどこか割り切れない気持ちがあるのは事実ですね。

      いただいたご質問にお答えさせていただきますね。

      まず記憶力は悪くなっているかですが、正直分かりません。

      ただ忘れっぽくなってしまっている前提で日々を過ごすようにはしています。

      これは僕がこの病気と付き合いをしていく中で行き着いた考えなのですが

      仮に本当に忘れっぽくなっていたとしても、原因を突き詰めて考えたところで問題の改善はしないので、忘れても大丈夫なような環境を作るよう努めております。

      例えば、返事は口頭だけでなく後で見返せれるように文章に残しておく、自分が思い出しやすいきっかけを残しておく(僕の場合は写真)などです。

      てんかん発作の後遺症はないですが、3回目の発症時に炎症が起きた小脳部分のダメージからたまに左半身の感覚がおかしくなることはあります。

      これに関してもどうやって付き合っていくかに考えはシフトしていますね、回復したらラッキーというくらいで考えています。

      すいません、質問に答えるというよりも、すっかり僕がしていることの紹介になってしまいましたね。

      ヒナタ様の歯がゆい気持ちに対して、気の利いたことが全然言えてないのが心苦しいのですが

      なにか一つでも参考にしていただけることがあれば嬉しく思います。

      katachi-photo
      1. ありがとうございます
        何度も返信読みました。
        てんかん発作がないとの事で
        本当に羨ましくまた心から
        良かったと思います。
        フジタ様の普段からの心がけている事や考え方がとてもためになりました。
        忙しい中丁寧な
        お返事に心より嬉しく
        感謝の気持ちでいっぱいです。
        本当にありがとうございました。

        ヒナタ ヨツハ
  6. そんな風に言っていただけて、本当にこちらこそです。

    ありがとうございます。

    それぞれの立場や状況によって、しんどいところは異なると思います。

    それだけに、どう生きていくかの方法もきっとそれぞれだとも思っています。

    ここが色んな人達の考えを出し合えたり発見できたりできる場所になれたらとても嬉しいです。

    またいつでもコメントください、お返事できるタイミングでさせていただけたらと思います。

    katachi-photo
  7. フジタさま。
    初めてブログを拝見致しました。私共は、93歳の高齢の父が2年前に自己免疫性脳炎と診断され、家族やその周りのこと、全てが変わってしまいました。診断がつくまで数か月かかり色々な治療が試されました。こんなに高齢で、この病気が発症するのは極めて珍しいケースだそうです。今でも半年に1度のペースで入退院を繰り返しております。急に容態が悪くなり救急車も数回、利用させて頂きました。毎日、父の機嫌が良くなったり悪くなったり、介護をする高齢の母と娘の私でドキドキしながら過ごしております。記憶が無くなってしまうことの不安や、体の自由も効かなくなっていること、趣味も楽しめなかったり、毎日息が詰まってしまっているようです。先日も何でも無い一言に激怒してしまったり、話しかけても全く無視されたり、食事以外は殆どベットで過ごしています。最近は、うつ状態の様にも感じられます。病気の前は穏やかで優しかった父が変わってしまいました。朝、起きると頭が変だ・・・と言われますが「変ってどんな感じなの?」と聞いても説明がつかないようです。どう言う様子なのか知りたいのです。今後、介護する私たちは、どうやって接していけば良いのか本当に悩んでいます。お忙しいと思いますが、お時間の有るときに一言頂けたら嬉しいです。あつかましいお願いで申し訳ありません。フジタさま、これからも素敵に頑張って下さい。心から応援しております。

    山口恭子
    1. はじめまして、コメントありがとうございます。

      もう2年間も闘われてきたんですね、さらに90代というご高齢。

      コメントに書かれている内容以上に、ご本人様はもちろん、ご家族様の想像を絶する苦労があることと思います。

      昨日からお返事をしたためているのですが、お伝えしたいことが沢山出てきてしまって文章がやや支離滅裂になっています。

      できるだけしっかりお返事したいので、まとまるまでもう少しお時間をください。

      必ずお返事致します。

      katachi-photo
    2. 山口様

      お返事大変遅くなりまして申し訳ありません。

      長くなりますが色々と僕が思うことをお伝えさせていただきますね。

      「どうやって接していけばいいか分からない」

      これは当時の僕の家族も思っていたことです。

      家族だけじゃなくて、治療に当たってくれた医療関係者の方々も僕の友人も、そして僕自身も自分の病気にどう接していけばいいか分かりませんでした。

      長年かけて僕が出した結論としては、きっと接し方の正しい答えはないんだと思います。

      ただ接し方はなくても、今の状況の捉え方や見かた、考え方はあるとは思っています。

      例えばすっかり変わってしまったように見えるお父様の中にはちゃんと優しいお父様が存在しているという見かた。

      僕の時もそうでした。

      病気の自分を止めようと頭の中で精一杯抗っていましたが、それでも抗いきれなかった部分が表面化してしまっていました。

      どうにかして自分を止めたいと頭のどこかでは考えているのに、我慢が一切利かず行動に移してしまう自分が情けなくて不甲斐なくて、でもどうしようもなくて、それどころかその気持ちを上手に口にすることすらできずにいたあの時は本当に地獄そのものでした。

      でもあの時には、見えないだけで看病をしてくれている人達の負担を少しでも軽くしたいと思う自分が自分の中には確かにいました。

      今まさに渦中にいる当事者のご家族様が、お父様をそんな風に見ると言うのはとても酷なことかもしれません。

      不安に押しつぶされそうななか、そんな風にお父様を見る余裕があるはずもありません。

      こうしてコメントをくださっている時点で、山口様がお父様の病気と真剣に向き合っていて、心からどうにかしたいと思って必死に行動していることも痛いほど伝わります。

      それだけに僕が思うのは

      どうか、まずはご家族様がほんの少しでも余裕を持つための日を作ってください。

      僕はこの病気で一番厄介なことは、患者を支えるご家族様がいっぱいいっぱいになっていくことだと思っています。

      大した内容ではないのですが、今思いつく具体的な方法もお伝えします。

      頼れる親族を増やして、家族の誰かが休める日を作る。

      もし頼れる親族がいなければ、医療や公的サービスの活用の幅を増やす。

      もしも、どんなサービスがあって、どう使えるのかが分からないということであれば病院や役所の相談窓口に相談に行く日を作る。

      どんな方法でもいいんです。

      僕は当時は自分の看病の為に疲弊していない家族を見ることが一番の願いでした。

      医者でもなんでもない僕が長々と好き勝手言わせていただきましたが、なにか一つでも山口様の参考になっていれば、なにより嬉しく思います。

      katachi-photo
  8. フジタさま。
    お忙しい中、ご丁寧なお返事を頂きまして本当に有難うございました。
    厳しくお辛いご経験上でのメッセージはとても心に沁みました。介護する側の家族も、暗く長いトンネルを抜け出すことが出来ない父も辛いんですよね。父の為にと思って試みることが全て受け入れられなくて母と強いストレスを感じておりました。優しかった父の為に、私共の出来ることを、もう一度考えてみたいと思います。日々、思うことは父の人格を大切に思うこと、また自分が後悔しない介護です。この頃は、父への接し方が、少し事務的になっておりました。
    フジタさまがおっしゃる通り、これらには正解が無いのですね。家族が休める日、時間が必要ですね。自分に余裕が無いと・・。あたたかいメッセージを有難うございました。末筆になりましたが、フジタさま、どうぞお身体お大事になさって下さいませ。

    山口恭子
  9. フジタさま こんにちは。自分も2016/11月に過労から倒れICU、入院、てんかん発症、退院後もリハビリ施設1年を経て復職でき3年経過 今に至ります(高次脳機能障害)        なかなか、この心境は共有困難だと思います。

    今、50代前半ですが、過去30年分くらいの記憶がかなり斑です。最近のことも定着が悪いです。幸い、カラダには後遺症無。海馬の損傷で記憶に関しては諦めるしかなく、メモ命。アタマは色んな抽斗があると考えることにしました。ふと思い出すこともあれば、「え~◎●したじゃん!」と言われても思い出せないことも多々有。

    知り合いからは「ある日、いきなり思い出したり…」と言われたりしますが、そんなドラマのようなことは残念ながらないのですよね。
    自分は視覚の記憶はわりとあり、味覚は半分?嗅覚はほぼ無し。家庭でも怒りの感情は些細なことで爆発し自己嫌悪。本を読んでも、TVドラマでもポロポロ涙が…。この先の人生を考えてしまう日々です。

    自分は精神のバランスをとるため、家族に開示して独り部屋(自分基地)を近隣に借りました。そこで好きな映画、本、音楽を楽しむ空間と時間を創っています。時々、自分基地で心のバランスを整えています⇒周囲からは、少し落ち着いたね と言われたりします。それが家族との感情バランスを整えることになったかもしれません。

    とはいえ、今も仕事面では降格ですし、自信が持てず声が小さくなる、周囲にとても気をつかう自分がいます。つらつらと自分事ばかり書いてしまい申し訳ありません。

    フジタさま、同じような悩みの方、身内の方々…この先の人生、好きなこと、共有できること、趣味を探し、上向きにしたいですね。「受容体脳炎」初めて知りました、ありがとうございました。

    PUUsan
    1. 返事が遅くなってしまい申し訳ございません。
      出来ていたことが出来なくなる辛さは僕も分かりますので、謝らなくても大丈夫ですよ!
      なにが正解かなんて誰にも分からないことですし、ただ分からない状況の中でも色々考えて足掻くこと自体に意味があると僕は思っています。
      PUUsan様もきっと沢山色んなことを考えて行動に移していることだと感じました。
      その方法がこのブログを見た誰かの正解になることもきっとあると思うので、こちらこそコメントいただけて嬉しく思っております。
      ありがとうございました!!

      katachi-photo

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